魂にあいにいこう with fearlesschucky

こころの勉強をしてみたり こころを音にしてみたり

BRC講座アドバンス最終講へ向かってます

9ヶ月間学んできたBRCカウンセラー養成講座

アドバンスコース最終日。

一人一人、15分間のプレゼンテーションたのしみです。

クラスメイト達の自己探求や気づきのスピードについていけず

迷走するばかりの自分がいやになったりもしましたが、

気づきがはやい=よい

気づきに時間がかかる=ダメ

の物差しは捨てて。

ただ 今、ここの私でいってくるのだー。

 

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ミッフィーは服を着て二本足で立っているうさぎだ。」

ソレハ本当デスカ⁇

 

OSHO ダイナミックメディテイションを初体験してきました

現在受講しているビリーフリセット講座でもたびたび取り上げらる、

カウンセラーとしての在り方、カウンセラーマインドの大切さ。

自分の輪郭を緩めて、相手を包む空気の一部となって

ジャッジせず、あるがままを受容するその姿勢は瞑想に通じます。

 

ということで、行ってきました

おすすめのOSHOダイナミックメディテイション。

どんなものかは私もちゃんと説明できないので

こちらを読んでいただくとして。↓
www.osho.com

 

事前の案内メールにあった通り、汗かきました(^^;

お寺などで行われるようなじっと座ってやる瞑想とは違い、

アクティブメディテイションといわれる

体を動かすことでエネルギーを揺り起こし、外へと発散させてゆく瞑想。

感情の解放、浄化、

そして新しく出来たスペースに新しいエネルギーを流し込んで行く、ようなことなのか?な?

 

初めての体験で緊張もありましたが、

むかえてくださったファシリテーターサローナさん、アニータさんお二人の

パワフルでありながら力が抜けていて、

どっしりと根を張っているのに自由に流れるような、

不思議なエネルギーに巻き込まれてゆくような場で

ふっと心が緩むのを感じました。

 

とはいえやはり初めてということで

なかなかすんなりと深い感情にアクセスしてすっきり解放ー!とは

いきませんでしたが(;^_^A

無になる瞬間と

思考が戻ってきては言葉が渦巻いてしまう瞬間を行き来しながら、

とにかくやってみた、一時間でした。

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この瞑想は

とにかくすべてを全力でやる、ということだったのですが、

やりはじめてみると、「これって私の全力?もっと??」と

全力でやっていたらまず考えないであろうことを考えてしまっていたり(^^;

ジャンプを始めたら膝が痛くて思うように跳べなかったり。

日常のなかで、何かを「全力で」やる、ということを

ほとんどしていないんだということに気づいてしまいました。

 

そして、

もともと自覚はありましたが、

やっぱり自分はまだまだ感情が出せていないんだということ。

ビリーフリセットカウンセリングを学ぶ中で

潜在意識に蔓延るいくつものビリーフを掘り起こし、

たくさんの気づきを得てきましたが、

その一つ一つに付随する感情に関しては

まだフルには感じ切れていない感覚がありました。

やっぱり、まだまだ奥にはたくさんの触れられていない感情が渦巻いていそうです。

 

信頼できる方々がおすすめしていたので

優柔不断な私にしてはあまり悩まずに申し込みをして参加してみましたが、

これは思いのほか私が必要としていたものだったかもしれません…。

回を重ねてゆくとより深く入っていけるようになるというお話なので、

ぜひまたやりたいな。

 

今回参加したのはこちら。

ビリーフリセット®認定カウンセラーさんのセッションを受けてきました②

ビリーフリセット認定カウンセラーさんのセッションで

何にもしてはいけない自分、どうせ何もできない自分の殻にコンコンとヒビを入れて、穴を開けることが出来ました。

くわしくはこちら↓

fearlesschucky.hatenablog.com

 

さらに興味深いおまけは、

お金と父親に関する気づきでした。

 

お金を稼げるようになりたい、

お金を稼げる自分になることで、自由を手に入れたいと願っていた自分ですが、

その一方でお金に対してどこかネガティブなイメージがありました。

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子供のころ、街中で悪目立ちする豪邸を見かけると

(そう見ている時点ですでにビリーフ入ってる 笑)

母親と冗談半分で

「なんか悪いことしたのかねぇ」なんて言ったりしていました。

冗談のつもりだったけど、案外冗談じゃなかったかも。

 

決して明日のお米に困るような環境ではなかったけど、

余裕があったわけでもなく、

母が自分のものにお金を使うところはあまり見たことがありませんでした。

楽しみの為にお金を使う人に対してはちょっと眉をひそめるような。

そこにはもちろん嫉妬の感情もあったんだな。

母を悪く思いたくない、母は正しいと信じたい娘としては

その母の価値観を当然そのまま受け入れるしかないよね。

 

このお金にたいする

「求めているけどどこか好きになれない」、ネガティブなイメージは、

実は父親に対するイメージと重なるケースが多いと聞いて

納得。

 

ほとんど家にいなかった父親に対して

いまだに距離を感じている自分。

もっと自分を見てほしい、知ってほしいと願っても叶わないから

その気持ちを奥深くに閉じ込めて

「別にお父さんが家にいてもいなくてもどうでもいい」が

自分の本心だと当たり前に信じてきました。

 

本当は求めているけど、欲しがってはいけないもの。

欲しがってもどうせ得られないもの。

だって私にはその価値がないから。

 

お金を稼げるようになりたいのに

それを自分に許せない理由のひとつが

そんなところにも潜んでいたのでした。

 

このお金に対するビリーフは

まだまだ探求が必要なようです。

 

ビリーフリセット®認定カウンセラーさんのセッションを受けてきました

勉強中のビリーフリセットカウンセリングの

先輩認定カウンセラーさんのセッションを受けてきました。

受講しているアドバンスコースのカリキュラムの一環です。

 

潜在意識にはりついた強固なビリーフは

知らない間に様々な形で日常に影響を及ぼしていて、

まったく別の入り口からアプローチしたつもりが

奥底でやっぱりまた同じビリーフに行きつくということも多々あります。

 

今回もまさに、

「くー。やっぱりまたこれかー」というダメ押しと共に、

さらに点と点が繋がった感覚を覚えたセッションとなりました。

 

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✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎

 

実はこの前日に、ビリーフリセット講座のクラスメイトで

Gallup認定ストレングスコーチでもあるしずかみちこちゃんの

ストレングスファインダーのセッションを受けたばかりでした。

(とっても興味深かった!くわしくはまた後日。)

その時指摘されて頭に残っていたことが、

この日のビリーリセットセッションの入り口となりました。

 

なんとなく頭に残っていたこと、それは

今の私は

感性のアンテナをしまい込んでしまっているため

行動力も自分の内側に向いてしまっていて

本来の強みがまったく活かされていない状態だということ。

 

この、アンテナが死んでる感覚はもうこの何年も自覚がありました。

死んでるの、もうやだなー。

 

ストレングスファインダー的観点からも

どうやって感性のアンテナを取り戻すかのアドバイス

しっかりいただきましたが、

この日はビリーフリセットセッションということで

 そんな内向きな自分の奥にあるビリーフと

そのビリーフのきっかけとなったであろう家族関係を探ってみることに。

 

そう、やっぱり、また家族!

 

カウンセラーさんの冷静でとてもクリアーな分析力に助けられて

ずるずると出てきたのは、

頭の先までどっぷり「お母さんワールド」に浸かって生きてきた自分でした。

(まだそれやってるの〜!)

 

常に私と姉とを比べる母親との関係からうまれた 

「自分は常に優秀でいなければならない」ビリーフ。(くわしくはこちら

 

その一方で、

頑張れば頑張るほど母と姉から疎まれる(と思い込んでいる)

「できすぎたら愛されない」ビリーフがうまれ、

 

優秀でいなければいけないけど、

優秀だと愛されない。

もうとにかく、

「どうしたらいいのかわからない」

八方塞がり。四面楚歌。A complete dead end.

 

下手に力を発揮してはいけないから

感性のアンテナなんて邪魔なだけ。

抑えて。隠して。殺して。

 

…生きてるのに、死んでたなぁ。

 

さらに、

父不在の女3人生活の中で、

母と姉の「私には何もできない。どうせムリ。」ワールドに

完全に飲み込まれてしまうことでがっつりとプログラミングされた

根拠のない「無自信」。

 

なんにも出来ない、してはいけない自分

出来上がり。ちん。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎

 

その後、椅子を使ったワークをしてみると…

母の視界に私はほとんど入っていなかった!

つまり、私を呪っていた母の言葉たちは

私に向けられていたのではなく、単なる母の独り言のようなものだった…くーっ。

独り言の声、大きすぎるよっ!

 

そして、自分の椅子に座って前を向いた時、

私の進む道を拒む人(椅子)はひとつもなかった。

母も姉も父もそれぞれの方向を向いていて、

私の邪魔するつもりなんてこれっぽっちもなかった。

 

「どうしたらいいかわからない」…前にすすんでみてもいいかも

「私には何もできない どうせムリ」…でもないかも

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そして、このセッションはここで終わらず

さらにおまけがついていました!

 

つづく

 

 

 

 

音楽は、なくならないよ。[セッションで気づいたことをまとめようとしてみた③]

デモセッションでのファミリーワークのおかげで、

感じることを自分に許せず

否定して抑え込んできた感情=未完了の感情を

吐き出していいんだ、と気づくことができました。

くわしくはこちら↓

欲しい!と いやだ! を言うんだ![セッションで気づいたことをまとめようとしてみた②] - fearlesschucky’s diary

 

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箱におしこめて、ご丁寧に南京錠までかけてたんじゃないかというくらい

こころの奥に閉じ込められてた「欲しい!」と「いやだ!」。

そもそも自分がそんな気持ちを抱えていたことに少しうろたえている上に、

それをワークの中で母親役の相手に口に出して伝えよう、となったときには

怖くて、声がのどで詰まるような感じがしました。

 

こんなこと思ってていいの?言っていいの??

 

いいんだよー!

だってキツかったじゃん

重かったじゃん

いやだったじゃん、わたし。

人が何と言おうと、人にどう見えようと、

わたしが苦しい。

それがわたしの真実。

わたしが認めてあげなきゃ、許してあげなきゃ、

わたしかわいそうじゃん!

 

よくがんばったよ。もういいよ。

 

「父の昔の夢」と「母のゴールデンシャドウ」に見立てて

抱えさせられていたふたつのクッションを、父と母にお返ししたら

・・・軽くなったよ。それだけで。

目の前が明るくなったような、

自分の周りの空気がすぅっと流れ始めたような感覚。

 

前を見ると

そこにいたのは、「ニューヴィジョン」さん。

ずっとそこにいたのに、それまでまったく視界に入ってなかった。

待たせてごめんね。・・・20年も。

 

あやさんに「どうしたい?」と言われて

ニューヴィジョンと手をつなごうと前へ足を踏み出そうとした時、

さっきまでは自分の斜め後ろから

どよーんと重たい足かせのような負のエネルギーを送られていると思っていた

ピアノさんと先生さんの二人が、

今はふわっと優しく背中をおしてくれているような気がしました。

 

父と父の夢、そして母は仲良く手を繋ぎ、

姉もちゃんと自分の世界を生きてる。

そっか、みんな大丈夫なんだ。

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これからはニューヴィジョンと一緒に

行き先を定めずに好奇心のままに自由に進んでいきたい。

でもやっぱりピアノさんと離れるのは心もとないので

ピアノさんにもそばにいてもらう。

無理に弾かなくても、大丈夫。

無理に切り離さなくても、大丈夫。

私が目をそらそうが、背を向けようが、

 

音楽は、ピアノは、ずっと、そこにいるよ。

なくならないよ。

いつも。ずっと。

それは神のようで。愛のようで。

思っていたよりも、ずっと大きくて、ずっとやさしかった。

 

私、信じてなかったんだなぁ。

家族を。音楽を。なにより自分を。

 

やっと、やっと、すこしだけ地上に頭を出せたような気がしています。

ぷはーーーーーーーーーーーーっっっ。

息を吸って。

これから。

これから。

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欲しい!と いやだ! を言うんだ![セッションで気づいたことをまとめようとしてみた②]

私にとってピアノを弾くことは

家族の一員であり続けるために必要だったことが

見えてきました。

くわしくはこちら↓

ピアノを弾くことの意味[セッションで気づいたことをまとめようとしてみた①] - fearlesschucky’s diary

 

 

私は本質的には好奇心旺盛で、

次から次へと新しいことを学んだり

新しい場所で生活をしたりすることが好き。

(…ということにもこの講座で気づきました 笑)。

 

でもあんなに親にお金をかけてもらって

先生に期待をかけられて

環境を与えてもらって

恵まれて歩んできた道を

楽しくないなんて言ったらいけない。

いやだなんて言ったらばちあたりだ。

 

7歳の時、父に言われた

「一生続けられるものをひとつ、選びなさい」の言葉も

いつの間にか呪いとなってしまっていたようです。

「ピアノを続けてゆくこと」

「ひとつの世界で自身を極め、秀でること」

それは迷うものでも考えるものでもなく

ただただ、そうであらねばならないものでした。

 

それは

腕を痛めて音楽漬けの世界を離れたあとも

私を縛り続け、

本来よろこびであるはずの

好奇心にまかせて新しいことを学ぶという行為も

さらに大きな挫折感と罪悪感を生むばかりで

それはもう言ってしまえば

人生なにをやっても楽しくない

という状態。

 

結婚も出産も子育ても

常に「こんな自分でごめんなさい」という

罪悪感がつきまとってよろこびを味わえない。

 ↓

(お気づきかと思いますが、母からがっつり受け継いでいました。

 そして律儀に娘にも引き継いでしまいました。)

 

あーーーーーーーーーーーー

今まで生きてて楽しくなかった!!!

 

言ってやる!

楽しくなかったの!

苦しかったの!

私を見てほしかったの!

ピアノ弾いていなくても娘でいていいって言ってほしかったの!

デキる子なんだから当たり前、じゃなくて、頑張ったって褒めてほしかったの!

私のことなんか見ていないくせに、たまに帰ってきて父親面されるのもいやだったの!

母が私に気を遣うのも、いつも謝られるのも、いやだったの!

楽しむことをあきらめている母を見るのもいやだったの!

生きていて楽しいって感じていいんだよって言ってほしかったの!

 

こころから笑ってみたかったの!

もうつかれたのーーーーーーーーーーーー!!!

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つづく。

ピアノを弾くことの意味[セッションで気づいたことをまとめようとしてみた①]

変わりたい!と強く願って参加した

ビリーフリセットカウンセリング講座。

アドバンスコースももう残すところあと2講だというのに、

変われない自分。

学びや気付きはたくさんあったけれど、

こころの底に潜む重たいかたまりは動かない。

 

そんな私の困惑が透けて見えたのか、

講座内でのデモセッションを受ける

機会をいただきました。  

 

 

私を前に進ませない何か。

おそらくその根っこは

自分と音楽との関係にあるのではないかと

感じてはいました。

 

20年以上私を育み

アイデンティティの一部となり

私を光へと押し上げてくれる唯一の手段であった音楽。

それは同時に

私を一番苦しめてきたものでもありました。

 

腱鞘炎という大義名分を得て

そこから逃げだしたのが20年前。

 

すっぱりと切り捨てて

楽になれるかとおもいきや

そうもいかず、

そして

逃げた自分を責め続ける心とも

目の前にいる二人の娘たちとも

向き合うことが出来ず。

 

自分はずっと同じ場所に立ち止まっているのに

目の前の景色だけがするすると流れていき

よくわからないうちに子供たちも

もう中学生と高校生らしい←今ココ。

 

そんな状態から

2期の先輩方と、師であるあやさんに導かれ、

3期のクラスメイト達の協力を得て実現した

ファミリーワークで見えてきたのは

 

父の果たせなかった昔の夢 と 母のゴールデンシャドウ

押しつぶされ身動きできなくなっていた自分でした。 

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仕事が忙しく、単身赴任や出張でほとんど家にいなかった

私のことなんか全然理解していなかったけれど、

私のピアノの道には惜しみなく協力をしてくれていました。

でも本当は

その父の視線の先にあったのは

私という娘の姿ではなく

父自身の音楽の道への果たせなかった夢でした!

(そうか、父と話そうとすると

 壁に話しているような感覚がしていたのはそういうことか・・・。)

 

そんな父の後ろに隠れて私と目を合わせようとしない

無価値ビリーフと罪悪感の塊のような、不器用な

自分とは違うタイプの次女(私)に引け目を感じ

ゴールデンシャドウを投影していました。

輝いて見える次女とどう向かい合えばよいか分からず

その愛情は長女である姉へと向けられました。

仕事と昔の夢ばかりで、自分のほうを向いてくれない父に

さみしさも感じていたかもしれません。

(そんなの知らないし!)

 

そして、母に似たタイプの控え目な

常に先を歩く2歳上の姉に

妹の私が幼少時唯一勝ることができたのがピアノでした。

中学高校と、コンクールに出るなどして一見華やかな妹と

それに嬉しそうに付き添う父親の姿を、

姉は羨ましいと感じていたころもあったと

以前母から聞いたことがありました。

(だからどうしろと??)

私自身その頃は、どこか不器用な姉に

どこかいらついていたりもしていました。

・・・と同時に、思っていました。

両親にも、周りの人たちにも

「不器用だけど心のやさしいお姉ちゃん」

「それに比べて、できるけど、きつい性格の妹  さん」

と見られているって。

 

頑張れば頑張るほど、成果を出せば出すほど、

私はいやなやつになる。嫌われる。愛されない。

控え目で優しいお姉ちゃんのほうが愛される。

 

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それでも私にとって

ピアノを弾いて父の期待に応えることは

この家族の一員としてつながり続けるために

どうしても手放してはいけない

細い一本の糸のようなものだったんですね。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎

 

私自身の役も含めて

クラスメイト達に家族一人一人、そして

ピアノ役、ピアノの先生役、父の昔の夢役までをやってもらい

ワークでその関係性を解きほぐしていくのを

まるで他人事のように

「へえー…そうだったんだ…」

と眺めている自分がいました。

 

欲しい!と いやだ! を言うんだ![セッションで気づいたことをまとめようとしてみた②] - fearlesschucky’s diary

につづく。