魂にあいにいこう with fearlesschucky

こころの勉強をしてみたり こころを音にしてみたり

信仰から距離をおくこと≠否定すること、だった件。

しばらくすっかり冬眠してしまっておりましたが

なにもしていなかったわけではありません(笑)。

 

なかなかアウトプットモードになれず

でも「そんな時期なのね」と

自分をどろーんと甘やかしながら

目覚めの時の訪れをゆるーりと待っておりました。

 

そんな中、さっきシャワーを浴びながらぼんやりと気づいたこと。

「そっか。私が、変わったんだ。」

 

 

聖書の神と出会った時,

ダメな私を神はとっくにご存知で、そのうえで赦して下さっていると知った時

本当に救われた気がしました。

やっと自分はそこに生きていていいんだと思えました。

 

それから時が経って

いつの間にか自分の中に静かに生まれていた迷いと罪悪感。

気付かないフリをしていたけど,もやもやは大きくなっていくばかり。

神とはいったい?

ゆらぐ自分のこころが後ろめたくて。

 

 

ここ二か月ほどのわたしは 

ただそこに在ること、だけをして過ごしていました。

 それはつまり、それまでの自分がずっとしてきたことー

  未来を恐れること、

  常に前に進まねばと焦ること、

  できない自分を責めること、

  自分以上の自分を追い求めること、

  自分の魂を否定すること

ーを、止める、ということ。

 

そうしたら、気づいてしまった。

…私、自分をダメな人間だと、もう思ってない。

 

 

なーんだ。

神様が変わられたのではなかった。

今もこれからも、その愛を求める者のドアをノックし

苦しむ者のくびきを共に背負って歩み続ける方。

 

私が変わっただけ。

 

そっか。うん。

 

 

 

 

 

忙しい時期に寝込んでも焦ってないよ

年末になると体調を崩すパターンは今年も変わらず

律儀に胃腸炎で3日間機能不全となりました。

それでなくても忙しい時期、色々とやる事があったのに

ただただ横になってるだけの72時間超。

 

大掃除ね、まぁしなくても死なないよね、とか

おせちね、買えばいいしね、とか

頭の中でぐるぐると「やるべきコト」リストを

「やらなくても大丈夫なコト」リストに書き換え。

年末だからこそやっておきたい気持ちがありつつも

それに縛られず、焦らず、ストレスに感じずにいられている自分。

 

開き直りといってしまえばそれまでだけど、

まぁ気にすれば気になるし

気にしなければ気にならない。

これが今の自分。それだけのこと。

出来ることだけやればいっか、と

肩の力を抜けるようになったのは

やっぱりビリーフリセット®心理学を勉強したお蔭かもしれないです。

 

そんな中でも

ちょっと新年準備っぽいことがひとつ。

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A5サイズのZEQUENZ。5キロのおデブしぇばっちゃんをサイズの参考に。

 

以前文具屋さんで見かけて気になっていたのだけどその場では購入せず、

2ヶ月ほど経っても忘れられなかったので

ネットで2019年用に購入。

やっぱりよかったかも!

 

丸められるやわらかさ。

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全200ページ4mm方眼。

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 見た目より軽いし。

 

わっくわくー。

 

 

 

西郷どーん!

おやっとさぁ!

 

大河ドラマ西郷どん

鹿児島出身のオットもめずらしく一回も欠かさず観ましたよ。

 

鹿児島の人は、とにかく桜島らぶ。西郷どんらぶ。

桜島に関してはもう、一回実物を見れば、わかる。

あの雄々しさ、大きさ、包み込む寛さ、美しさは魔力。

あれが自分の故郷にあったら、そりゃー自慢。そりゃー誇り。

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一方西郷どんに関しては、恥ずかしながらあまり詳しくなくて

この一年間の大河で「ほおーへえーそうだったのかー」と

初めて知ること多し。

そして、気づきました。

鹿児島の人々が愛してやまない「せごどん」のイメージは

そのまま桜島のそれと重なるんだなぁ。

 

最終回、

彼を慕う志士たちと、勝ち目のない西南戦争へと突き進むせごどん。

どうしても時代の流れに抗うことでしか

その魂を表現することができない若い志士たちに

最後までひたすら自分に正直に生ききることをゆるすだけでなく

自らの命をもって彼らに寄り添うことを選んだせごどんは

もはや宇宙レベル。

(注:ゆるす=forgive ではなく、allowの方です)

 

従わせよう、導こうとするのではなく、受け止め、寄り添う。

人と人が共に在るって、そういうことなんだな。

 

わっぜふっとかよかにせどんじゃー。

 

て、せごどん推しまくっておいて、いちばん泣いたのは

大久保一蔵どんの「吉之助さぁーーー!!」だったんだけど(笑)。

 

余談ですが、オットの曽祖父も西南戦争で戦った1人でありました。。。

 

ああ、今年も暮れてゆく。

まずは大人が楽しもう

先月、ムスメの学校の文化祭を観に行きました。

 

中学校のほとんどを不登校だったムスメが通う学校は

一般的な普通高校とくらべると

色んなイミで色んな子たちが通う、少し特殊な学校。

若い先生方が多くて、いつお会いしてもとってもフレンドリーで楽しそう。

 

それぞれのクラスのパフォーマンスや個性的なファッションショーなどの最後に

毎年恒例先生たちのパフォーマンス。

DA PUMPの「U.S.A.」でノリノリに全力で唄い踊りまくる先生たちと

最高潮に盛り上がる生徒たち♫

 

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帰り際に昨年度の担任の先生にご挨拶した時の言葉が印象的でした。

「まず私達が楽しまなきゃ生徒たちも楽しめませんから!」

 

それでいて、「みんなと盛り上がる」事を強要せずに

枠からはみ出た子供たちそれぞれの楽しみ方、在り方を尊重してくれる

枠からはみ出た先生たち。

 

「話しかけるな、友達いらないので。」フェイズを絶賛生きている最中のムスメでも

嫌がることなく毎日通うことができている理由が

見えた気がしました。

(あ、話しかければ大人の対応可、そして家ではわりとご機嫌です 笑)

 

一般的な学校では

生徒たちを正しく導かなければならない、

よい手本であらなければならない、

きちんとルールを守れるよう指導しなければならないと、

先生方もどこか息苦しさやジレンマを感じているように見えたり見えなかったり。

学校という場が

先生方ももっと楽しく仕事が出来る現場であれたら

おのずと子供たちもこの世界は安心できる場所だと

感じられるのかもしれない。

 

それは学校だけではなくて

やっぱり家庭のなかでも

大人がまず自分の人生を自分の為に生きていること。

子供のせいにしてしまいたくなるような我慢ならしなくていい。

義務感の愛なら無理して伝えなくていい。どうせ伝わらないから(笑)。

 

苦しそうに生きている親を見て育つ子供は

親の不幸は自分のせいと勘違いして自分を責めてしまう。

そして自分だけが幸せになる事を許せなくなってしまう。

私がそうだったように。

私の娘がそうであるように。

 

というわけで。

今日もわがままに生きてみよう。

 

楽しい読書

このところ、ビリーフリセット講座の課題の本や、

それに関連する本を主に読んで過ごしていました。

アドバンスコースを終えて一息、

久しぶりに単純に好奇心に任せての気軽な読書。

 

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大好きなヴィクトリア朝時代について、

ディケンズやテニソンなどの作家とその作品を取り上げなら論じている

「魅惑のヴィクトリア朝新井潤美著 と、

 

幼稚園と、小学校の始めと終わり三年ちょっとしか日本の教育を受けていないので

この歳までちゃんと学びそびれてしまってい古事記

すてきな写真とともに解説してくれている

「あらすじで読み解く古事記神話」三浦佑之著f:id:fearlesschucky:20181212182815j:image

写真を眺めているだけでも心が洗われるー。

 

本とCDを買うときだけ都合よく剥がせる、

「自分にお金をかけてはいけない」ビリーフ(笑)。

 

 

 

 

声と骨クラスでみえたこと

中江絵美さんの声と骨クラスで思い出した感覚

余計なものを削ぎ落し

大地に足を踏みしめて、原始的で本能的、

それでいて美しい音を

自分の身体全部から溢れさせたい。表現したい。

 

学生時代のそんな想いを

いつの間にかこころの奥の奥へ閉じ込めて

なかったものにして生きてきた20年間。

 

だって腱鞘炎なっちゃったし

だって子供うまれちゃったし

だって自分のこと考えるひまないし

だってお金ないし

だって仕事にならないし

だって誰も興味ないし

だって完璧じゃなくちゃ意味ないし

だって私にそんな価値ないし

だってだってだって・・・

こわいんだもん。

 

でも

ビリーフリセット心理学を学んで、

恐れのもととなっていた家族関係やインナーチャイルドの存在に気づいてみたら、

いつのまにかそんな「エンドレスだってだってリスト」はもういらない自分になっていました。

(まだちょっとあるけど、それもまあいいか笑)

 

恐れていた評価も結果も、人のものさし。

「やりたい!こうやって生きたい!」

それだけが私のほんとう。

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そんなこんなで突然の「ピアノ即興チャレンジ」

自由にこころを音にしてゆく練習、はじめました(笑)

完璧な完成品じゃなくても、いい。

これから少しずつ、心と感性と指先を繋げていく筋トレ、

すすめていきます!

 

そうそう、中江絵美さん、とってもすてきな方で。

小柄で華奢なのに、正直でまっすぐで、

しなやかで、それでいて芯のある強いエネルギーを

体中から発しまくってる方でした!

ワーク中、背中に触れてもらったら

「身体に才能がたくさんつまってる」と言っていただいて

なんだか背中をおしてもらえたようでとっても嬉しかった!

しかも、「きらきら」ではなく「ぎらぎら」した、

「わがまま」な才能だそうなので、

もうやりたいようにやっちゃうしかないね!

 

 

声と骨クラス

少し前に参加した身体表現アーティスト中江絵美さんの声と骨クラス。

正直どんなものなのか分からずに、

どなたかが紹介されていたのを見て勢いで申し込み(笑)、

当日は予定ぎっちりでソフトバンクは繋がらない中

生まれて初めて上陸する街で道に迷い息を切らしながら

少々遅刻気味でたどり着きました。

 

結論から言うと、

「参加してほんっとーによかった‼︎」

 

私は特に声を生業にしているわけではないけれど、

教わった呼吸で体の内側へ向けて声を出してみて

体の中でもわーんと響く自分の声に意識を向けていると

外へ外へと分散していた意識や想いや気が

ぐうーっと自分の中心へ戻ってくる感覚がする。

 

それはそのまま大地の中へと根を広げ、

生命の源へと繋がっていく。

 

「そうだった、私、こんな風に生きたかったんだった…

 こんなふうに音をだしたかったんだ…」

 

それは、

「どうせムリ。私には今の生き方しかできない」

と、いつの間にかしまい込んで諦めてしまっていた学生時代の感覚を

思い起こさせてくれました。

 

つづく